※すいません。m(_ _)m
私のブログは他者の更新に影響される事が多いのでみなさん注意して下さい。
先に謝っておきます。
言葉というのは難しい。
捉え方・考え方によって無数の理解の仕方がある。
良いと思う言葉でもそれが絶対と言う訳では無く、
正義と悪が具体的ではないのと同じだと考える。
中国の陰陽図が例として挙げられる。
正義の中の悪。
悪の中の正義。
正確にいうなら、
陰中の陽
陽中の陰
つまり絶対の正義・悪というのは存在しないということだ。
閑話休題
今回の文は、かなり嫌味になるのであしからず。
まず決める。そしてやり遂げる。
この言葉には、賛同出来ない。
理由は先の例にある。
決める・やり遂げる。
これは断定・完遂するという捉え方が出来る。
なら、もし最初の「決める」と言うところで間違っていた場合はどうする。
決めて「やり遂げた」とき間違いだと気付いたらどうする。
その人は、立ち直る事が出来るのか。
具体的に示される言葉は確かに心地よく、響くものがあるがその言葉に囚われる可能性もある。
この言葉を議論し出た答えが、
まず考える。そして行動する。
決める=その過程で考えるが含まれるのかも知れないが、最初に思い付いたことをやり遂げると言う可能性もある。
私は先の言葉をこういう捉え方をした。
考える・行動する。
これは何が大切で、何が重要なのか、広い考え方を持つ事が出来る言葉だと私は考える。
考え方は多い事に越した事はない。
一概にこれが正しいとは言えない。
私の好きな言葉を、
正確には覚えてはいない、自分が分かり易いように記憶している。
「我々は何処にいき、我々は何者なのか?」
劇場版・パトレイバーから
聖書の一文らしいのだが別に宗教家ではないので、
明確な答えが無く。何故生きて、自分と言う存在はなんなのかを問うモノだと思う。
最後に言葉は刃だという事だ。